「すでにそうであるもの」に抵抗すると、ネガティブな感情を抱かずにはいられません。
実を言うと、ネガティブ性は、みな抵抗が原因なのです。
この場合、ネガティブ性と抵抗のふたつの言葉は、同一語とみなしてかまいません。
ネガティブ性には、イライラから、短期、激怒、落ち込み、不機嫌、絶望感まで、さまざまなレベルがあります。
抵抗することで、ペインボディを目覚めさせることもありますが、その時には、ほんのささいな出来事でも、欝、悲観などの、極度のネガティブな感情を引き起こします。
エゴは、ネガティブ性をつくれば、現実をコントロールでき、欲しいものを手に入れられる、と信じています。
ネガティブ性が、望ましい状況を引きよせる、または好ましくない状況を一掃する、とおもいこんでいるのです。
もしわたしたちが、(というより、私たちとひとつになった思考が)、不孝にはなんのメリットもないと知っていたら、不孝な気持ちをつくりだすはずがありません。
むろん、ネガティブ性にメリットがないというのは事実です。
望ましい状況を引きよせるどころか、それが起ころうとするのを、逆に妨げてしまいます。
好ましくない状況を解決するかわりに、その状況を維持しようとさえします。
唯一、「便利」と呼べるネガティブ性の機能は、エゴのパワーを増大させることであり、これこそ、エゴがネガティブ性を愛する理由なのです。
人間というものは、いったんネガティブな要素をアイデンティティにしてしまうと、それを手放したくなくなるものです。
心の深層部では、ポジティブな変化を望まなくなってしまうのです。
その理由は、ポジティブな変化が、「欝」、「怒り」、「不当に扱われる」などのネガティブなアイデンティティを、おびやかしてしまうからです。
さらに、無意識のうちに、人生のポジティブな面を無視したり、拒否したり、変化が起ころうとするのを邪魔したりさえもします。
これは、とてもありふれたことであると同時に、ひどく不健全なことです。
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「超シンプルなさとり方」より
明日も引き続き「ネガテイブ性を利用することと、手放すこと」・・・について書きます。
ー仁美ー
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