肉体の「死」と魂の「不滅」という、わたしたちすべてに共通の絆が、憐れみのふたつの側面です。
このレベルの憐れみは、癒しになります。
このレベルの憐れみは、「すること」よりも、「在ること」によって、癒しの威力を発揮します。
この憐れみを持つ人に接すると、誰しもみな、その人が発している平和に影響されずにはいられません。
ほんとうのさとりをひらいた人は、どんなに周りの人たちが無意識にふるまっても、それに対して反応する必要性を、まったく感じません。
反応することによって、無意識の行動を、現実にしてしまわないからです。
さとりをひらいたひとの平和が、あまりにも果てしなく深いため、平和でないものは、まるで最初から存在などしなかったかのように、その中に吸い込まれて、消えてしまいます。
これが、行動と反応との、悪循環のカルマを断ち切るのです。
動物、木々、花々は、さとりをひらいた人の平和を感じ、互いに呼応します。
これが「在ること」、つまり「神の平和」の表現を通して、教えるkとです。
光り輝く完全意識となり、「この世の光」になることです。
そうすれば、苦しみを「もとから」取りのぞいていることになります。
世界から、無意識を一掃する貢献をしているのです。
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「超シンプルな悟り方」より
明日は「手放すこと」の知恵・・・について書きます。
ー仁美
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