この段階まできたら、「わたしは本当に痛みを手放しただろうか?」と、心配する必要はありません。「手放し」は、すでに成功しているのです。
「完全に意識を向けること」自体が、「完全に受けいれること」であり、「手放すこと」だからです。
意識を完全に向けることことで、「本当の自分のパワー」あるいは、「いまのパワー」を使ったのです。このパワーを使えば、抵抗は、消え去るよりほかに道がありません。
「いまのパワー」は、時間を取りのぞくからです。
時間がなければ、痛みなどのネガティブ性は、心に住むことはできません。
苦しみを受けいれることは、「死への旅」とも表現できます。
深い痛みを経験した時に、それをありのままに受け入れ、意識を受けることは、自分の意志で「死」の中にはいっていくことだからです。
この「死」は、もちろんわたしたちがふだん使っている「死」とは意味が違いますが、この「死」を体験してしまうと、「一般的な意味の死など、もともと存在しない」、ということに気づきます。
この気づきによって、結果的に、「自分には、恐れるべきものなど、なにひとつない!」という意識に、到達します。
死ぬのは、エゴだけなのです。
太陽の光線の一筋が、太陽の一部だということを恐れ、太陽以外の何者かになろうとしたり、太陽以外のアイデンティティを守ろうと、必死になったりしているところを想像してごらんなさい。
このような思い違いがなくなれば、途方もなく大きな開放感がえられると思いませんか?
あなたは、楽な「死」を望んでいますか?
痛みにもだえ苦しむことがない「死」があればいいのに、と思いますか?
それならば、すべての瞬間に、過去を捨て去りましょう。
そして、「本当の自分」だとみなしている、重苦しい、時間に縛られた、「にせの自分」を、「在る意識の光」で輝きに変えるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超シンプルなさとり方」より
明日は、「選択することの意味」・・・について書きます。
ー仁美ー
0 件のコメント:
コメントを投稿