2011年9月6日火曜日

本当の意味で、「選択する」ためには、本来、意識の活動、それも高いレベルの意識の活動が要求されます。
高次の意識活動ぬきでは、わたしたちは、ほんとうはなにも選択していないのです。
「いまに在る」ことによって、思考の反応パターンを自分から切りはなすことができるようになり、本当の意味の「選択」が、可能になります。
本当の意味で「選択」していない人は、「無意識に」生きています。
パターン化した思考が、その人の感情、行動を決めているのです。

痛みや機能不全の人間関係を、自分から選択する人はいません。
それなのに、起こってしまうのは、過去を溶かせるほど十分に「いま」に在らず、暗闇を照らせるほど、意識の光を放っていないからです。
完全に「ここ」にいないからです。
まだ、きちんと、目を覚ましていないからです。

あなた自身も、大勢の人々のように、パートナーと問題を抱えていて、相手の言動に怒りを抱いていますか?
もしも、そうならば、あなたは「相手は別の言動をとることができた」と、信じていることになります。
わたしたちにしてみれば、いつも相手が選択肢を持っているかのように見えますが、それは単なる錯覚にすぎません。
パターン化した思考が人生を動かしているかぎり、その人は「思考そのもの」なのです。
その人に、選択肢はありません。
その人は、「ここ」にさえ在ないのですから、選択肢など、持っているはずがありません。

思考とひとつになっているかぎり、機能不全は免れません。
程度の差こそあれ、ほとんど誰もが、この「病」をわずらっています。
この事実に気づいた瞬間、人に対する怒りは消え去ります。
どうして、誰かの「病」に、腹を立てることができるでしょうか。
「病」に対して抱くのにふさわしい唯一の情は、「憐れみ」なのではありませんか?

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「超シンプルなさとり方」より

明日も引き続き「選択すること」の意味・・・について書きます。

ー仁美ー

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