「大いなる存在」は、見たり触ったりできるからだによって、認識するものではありません。
目に見える体は「衣」、「虚像」であり、その奥にあるものが実態です。
『大いなる存在」とつながっていれば、この実態は躍動する「内なる生命」もしくは「インナーボデイ」として感じられます。
つまり、「からだに住まう」ことは、からだのうちにある生命を感じることであり、そうすることによって、「私は見かけの姿を超越した存在なのだ」、という意識に到達できるのです。
心が思考に占領されているかぎり、わたしたちは「大いなる存在」と断絶しています。
大半の人が、持続的にこの状態にあり、意識をすべて思考につぎ込んで、自分のからだを、「留守」にしています。思考は暴走し、コントロールがきかなくなります。
「大いなる存在」を認識できるようになるには、思考から意識を解放しなければなりません。
これが、わたしたちの「魂の旅」の中で、もっとも大切な仕事のひとつです。
無益で強烈な思考活動に消費されている、莫大な量の意識を解放するのです。
意識を解放そるのに効果的な方法は、思考活動を止め、インナーボデイに意識を向けることです。
インナーボデイは、肉体に生命を与える、見えざるエネルギーの場であり、「大いなる存在」が感じられる場です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超シンプルな悟り方」より
明日は、インナーボデイとつながる方法・・・ということについて書きます。
ー仁美ー
目に見える体は「衣」、「虚像」であり、その奥にあるものが実態です。
『大いなる存在」とつながっていれば、この実態は躍動する「内なる生命」もしくは「インナーボデイ」として感じられます。
つまり、「からだに住まう」ことは、からだのうちにある生命を感じることであり、そうすることによって、「私は見かけの姿を超越した存在なのだ」、という意識に到達できるのです。
心が思考に占領されているかぎり、わたしたちは「大いなる存在」と断絶しています。
大半の人が、持続的にこの状態にあり、意識をすべて思考につぎ込んで、自分のからだを、「留守」にしています。思考は暴走し、コントロールがきかなくなります。
「大いなる存在」を認識できるようになるには、思考から意識を解放しなければなりません。
これが、わたしたちの「魂の旅」の中で、もっとも大切な仕事のひとつです。
無益で強烈な思考活動に消費されている、莫大な量の意識を解放するのです。
意識を解放そるのに効果的な方法は、思考活動を止め、インナーボデイに意識を向けることです。
インナーボデイは、肉体に生命を与える、見えざるエネルギーの場であり、「大いなる存在」が感じられる場です。
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「超シンプルな悟り方」より
明日は、インナーボデイとつながる方法・・・ということについて書きます。
ー仁美ー
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