2011年7月2日土曜日

人生はうつり変わるもの

ひとつのサイクルの期間は、数時間から数千年に及びます。
大きなサイクルの中には、さらに小さな複数のサイクルがあります。
病気のほとんどは、わたしたちに不可欠な、低いエネルギーのサイクルに抵抗することによって、生じています。
思考とひとつになっているかぎり、外的な要素で自分の存在価値を決める傾向から逃れられませんが、このような考え方が、衰退のサイクルを受け入れるのを困難に、または不可能にしているのです。
そこで、からだの機能が、本人の抵抗をストップさせるために、自己防衛の手段として、病気を作り出すのです。
思考がなにかに愛着を持つと、それが人でも、所有物でも、社会的地位でも、場所でも、肉体でも、それにしがみつき、それと一体化してしまいます。
それらを、幸福感や満足感の源泉、さらに、アイデンティティを構成する要素にしてしまうのです。
しかし、物質界では、なにものも永遠ではありません。
すべては終わってしまうか、変わってしまうか、極の反転(去年、またはつい昨日まで、「よし」とされていた状況が突然、または次第に「悪」に変わる)が起こるかの、いずれかです。
自分を幸せにしていた状況が、一転して自分を不孝におとしいれてしまうのです。
今日の繁栄が、明日には空虚な消費活動に、幸福に満ちた結婚やハネムーンが、不孝な離婚や、みじめな共同生活にに変わります。
また、当然自分のものとみなしていたものを失う時にも、不孝な気持ちになります。
自分がアイデンティティにしている状況や状態が変わることや、消えてなくなることは、思考には耐えがたいことだからです。
思考は、去っていく状況にすがりつき、変化にもがきます。
自分の体から、なにかがもぎ取られてしまうように感じられてしまうのです。

結局、幸福と不孝は、実のところ同じものなのです。
時間という幻想が、それをまったく別のものであるかのように分けているにすぎません。

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「超シンプルなさとり」より

明日も引き続き「人生は永遠にうつり変わるもの」・・・について書きます。

ー仁美ー


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