2011年7月16日土曜日

「憐れみ」とはなにか?

「大いなる存在」につながっていない人は、他者の「本当の姿」をつかんでいません。
自分自身の実態さえつかんでいないのですから、無理もないことです。
「大いなる存在」を知らない人は、他者の外見だけでなく、考え方にまで、好き嫌いの判断を下しているものです。
「大いなる存在」を基盤としてはじめて、他者のからだや思考を、たんなるカーテンとみなせるようになり(実際それが真実です)、ちょうど自分のカーテンの奥にある、「ほんとうの自分」を感じられるように、他者のカーテンの奥にある、その人の実態を感じることができるのです。
他者の苦しみや、無意識の行動に直面しても、「いま」に在り、「大いなる存在」につながっていれば、かたちを超えて相手を見ることができます。
言いかえるならば、「大いなる存在」を、自分自身の「大いなる存在」をとおして見ているのです。
「大いなる存在」に気づくことによって、奇跡的な癒しを経験する人もいます。
「大いなる存在」の次元では、苦しみはすべて幻にすぎません。
苦しみは、かたちでアイデンティティをつくることから生まれるのです。

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「超シンプルなさとり方」より

明日も引き続き「憐れみ」とはなにか?・・・について書きます。

ー仁美ー

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