「大いなる存在」とつながった状態を、意識を失った恍惚状態だと思い込んでいる人もいるかもしれません。
しかし、実際は、まったく違います。
「大いなる存在」とつながっているときには、思考と一体になっている時よりも、意識はずっと鋭敏であり、きちんと覚醒しているからです。
この時のわたしたちは、完全に「在り」ます。
エネルギーの波動は高まり、生命力も旺盛です。
東洋では、これを「無心状態」と呼んでいますが、無心状態にさらに深くはいると、「完全な意識」になります。
このレベルに到達すると、「自分」の存在を、強烈に、しかも喜びとともに感じるため、思考、感情、肉体、外界など、あらゆるものの重要性が薄れてしまいます。
しかし、自己中心的になるという意味ではありません。
自我のない状態、つまり「無我の境地」になるのです。
この状態に達すると、それまでの「自分」の意識を超え、より壮大な「自分」の認識を持つようになります。
より壮大な「自分」である「大いなる存在」も、本質的にはわたしたちであることに変わりがないのです。
それは同時に、途方もないほど、わたしたちよりも偉大なのです。
「思考を客観的にながめること」以外にも、無心状態を作る方法が、いくつかあります。
意識を100パーセント「いま」に集中させて、思考活動を遮断するのも、その一つです。
意識のすべてを「いま、この瞬間」に向けてみましょう。そうすれば、思考活動をストップすることができ、「意識が鋭敏であると同時に、考えごとをしない」という、「無心状態」になれます。
この方法は、満足のいく結果をもたらすはずです。
また、これは、瞑想の極意でもあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超シンプルなさとり方」より
明日も引き続き、どうすれば思考をコントロールできるか?について書きます。
―仁美ー
しかし、実際は、まったく違います。
「大いなる存在」とつながっているときには、思考と一体になっている時よりも、意識はずっと鋭敏であり、きちんと覚醒しているからです。
この時のわたしたちは、完全に「在り」ます。
エネルギーの波動は高まり、生命力も旺盛です。
東洋では、これを「無心状態」と呼んでいますが、無心状態にさらに深くはいると、「完全な意識」になります。
このレベルに到達すると、「自分」の存在を、強烈に、しかも喜びとともに感じるため、思考、感情、肉体、外界など、あらゆるものの重要性が薄れてしまいます。
しかし、自己中心的になるという意味ではありません。
自我のない状態、つまり「無我の境地」になるのです。
この状態に達すると、それまでの「自分」の意識を超え、より壮大な「自分」の認識を持つようになります。
より壮大な「自分」である「大いなる存在」も、本質的にはわたしたちであることに変わりがないのです。
それは同時に、途方もないほど、わたしたちよりも偉大なのです。
「思考を客観的にながめること」以外にも、無心状態を作る方法が、いくつかあります。
意識を100パーセント「いま」に集中させて、思考活動を遮断するのも、その一つです。
意識のすべてを「いま、この瞬間」に向けてみましょう。そうすれば、思考活動をストップすることができ、「意識が鋭敏であると同時に、考えごとをしない」という、「無心状態」になれます。
この方法は、満足のいく結果をもたらすはずです。
また、これは、瞑想の極意でもあるのです。
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「超シンプルなさとり方」より
明日も引き続き、どうすれば思考をコントロールできるか?について書きます。
―仁美ー
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