成長するにしたがって、わたしたちは、個人的・社会的環境に基づいて、「わたしは誰か」、というイメージを形成していきます。
この「にせの自分」は、またの名を「エゴ」と言います。
エゴは、思考活動によって、存在が成り立っています。
つまり、エゴは、絶えず考えることによってのみ、生きながらえるのです。
エゴという言葉は、人いよって解釈はまちまちですが、わたしが本書で使う場合には、自分でも気づかないあいだに思考を自分と同一視することでつくられる、「にせの自分」を意味しています。
エゴにとって「いま、この瞬間」というときは、存在しないも同然です。
エゴにとっては、過去と未来がすべてだからです。
エゴの世界では、真実がこのように180度転倒してしまうことが、思考が正常に機能しなくなる原因です。
エゴはなにがなんでも、過去を生かしておこうとします。
過去がなかったら、自分がいったい誰なのか、わからなくなってしまうからです。
エゴは、先々の身の保証を確実にするために、未来の姿も、常に気にかけています。
将来、なんとか重荷から解放されよう、目標を達成しよう、と必死なのです。
エゴの口ぐせは、このような感じでしょう。
「いつの日か、○○が実現したら、その時はじめてわたしはOK(幸福、平和)になる。
エゴが一見、現在に注目しているように見えても、実際には違います。
エゴはいつでも、過去というメガネを通して、現在をながめているからです。
そのために、現実をひどくゆがめています。
エゴは、現在を、ゴールに到達するまでの、「通過地点」ととらえ、その価値を著しく損ねています。しかし、ゴールというものは、いつでも頭の中にしか存在しない未来に属していて、現実ではありません。
「いま、この瞬間」が、さとりをひらくカギをにぎっているのです。
思考とひとつになっているかぎり、「いま、この瞬間」を見極めることはできません。
さとりをひらくことは、思考を超えたレベルに到達することです。
さとりをひらいてからでも、必要な時には、もちろん思考を使います。
でも、その使い方はさとりをひらく前よりも、ずっと効率的であり、集中しています。
さとりをひらいた人は、目的がある時だけ、思考力を使うものです。
しかも、自分でコントロールできない「頭の声」はなくなり、心には静けさがあります。
創造的なアイディアを必要とするときには、思考が活動した状態と、ピッタリと止まった状態とを、何分かおきに交互に経験するものです。
これは「思考状態」と「無心状態」と言えます。
この方法でしか、わたしたちは、真にクリエィティブなアイディアを着想することはできません。
無限に広がる意識の領域とつながっていない思考は、破壊的なものをつくりだしたり、時間がたたないうちに不毛になったりするものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超シンプルなさとり方」より
明日は、「感情の正体」とは?・・・ということについて書きます。
―仁美ー
この「にせの自分」は、またの名を「エゴ」と言います。
エゴは、思考活動によって、存在が成り立っています。
つまり、エゴは、絶えず考えることによってのみ、生きながらえるのです。
エゴという言葉は、人いよって解釈はまちまちですが、わたしが本書で使う場合には、自分でも気づかないあいだに思考を自分と同一視することでつくられる、「にせの自分」を意味しています。
エゴにとって「いま、この瞬間」というときは、存在しないも同然です。
エゴにとっては、過去と未来がすべてだからです。
エゴの世界では、真実がこのように180度転倒してしまうことが、思考が正常に機能しなくなる原因です。
エゴはなにがなんでも、過去を生かしておこうとします。
過去がなかったら、自分がいったい誰なのか、わからなくなってしまうからです。
エゴは、先々の身の保証を確実にするために、未来の姿も、常に気にかけています。
将来、なんとか重荷から解放されよう、目標を達成しよう、と必死なのです。
エゴの口ぐせは、このような感じでしょう。
「いつの日か、○○が実現したら、その時はじめてわたしはOK(幸福、平和)になる。
エゴが一見、現在に注目しているように見えても、実際には違います。
エゴはいつでも、過去というメガネを通して、現在をながめているからです。
そのために、現実をひどくゆがめています。
エゴは、現在を、ゴールに到達するまでの、「通過地点」ととらえ、その価値を著しく損ねています。しかし、ゴールというものは、いつでも頭の中にしか存在しない未来に属していて、現実ではありません。
「いま、この瞬間」が、さとりをひらくカギをにぎっているのです。
思考とひとつになっているかぎり、「いま、この瞬間」を見極めることはできません。
さとりをひらくことは、思考を超えたレベルに到達することです。
さとりをひらいてからでも、必要な時には、もちろん思考を使います。
でも、その使い方はさとりをひらく前よりも、ずっと効率的であり、集中しています。
さとりをひらいた人は、目的がある時だけ、思考力を使うものです。
しかも、自分でコントロールできない「頭の声」はなくなり、心には静けさがあります。
創造的なアイディアを必要とするときには、思考が活動した状態と、ピッタリと止まった状態とを、何分かおきに交互に経験するものです。
これは「思考状態」と「無心状態」と言えます。
この方法でしか、わたしたちは、真にクリエィティブなアイディアを着想することはできません。
無限に広がる意識の領域とつながっていない思考は、破壊的なものをつくりだしたり、時間がたたないうちに不毛になったりするものです。
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「超シンプルなさとり方」より
明日は、「感情の正体」とは?・・・ということについて書きます。
―仁美ー
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