2011年9月20日火曜日

「恐れ」の正体とは?

「恐れ」という心理状態は、目前の確固たる危険と、直接に関係しているわけではありません。
「恐れ」は、不快感、不安、いらだち、緊張、心配、病的恐怖など、さまざまなかたちで表れます。
この種の恐れの気持ちは、いつでも、「いま、起こっていること」ではなく、「これから起こるかもしれないこと」に対するものです。
あなたがいるのは、「いま、ここ」です。
それなのに、あなたは「未来」を見ているのです。
このギャップが、不安などの、望ましくない意識を生む元凶なのです。
自分の思考を「ほんとうの自分」だとみなして、「いまのパワー」を失い、「いまに在る」生き方を忘れてしまうと、恐れを「相棒」にしてしまいます。
わたしたちには、たとえどんな時でも「いま、この瞬間」と協力するという選択肢があります。
しかし、頭の中にしか存在しないイメージとは、協力することができません。
未来は、わたしたちに、手を貸してはくれないのです。
恐れには、実にさまざまな要因がからんでいるものです。
失うことへの恐れ、失敗することへの恐れ、傷つくことへの恐れなど、挙げていったららきりがありません。
しかし、どんな恐れも、つきつめると、「エゴの恐怖」に帰着します。
エゴは、自分の生命が「風前のともしび」だと、知っているからです。
たとえば、あなたの周りには、「議論でいつも勝たなければ気がすまない人」がいませんか?

この、ごくありきたりとみなされている習慣も、もとをただせば、自分の思考を防衛する目的によるものです。
自分の思考を防衛せずにいられないのは、思考を「ほんとうの自分」と錯覚していいるからに、ほかなりません。
つまり、思考にすがりついているエゴの恐怖に、由来しているのです。
エゴは、自分の存在価値を、頭の中で測っているので、考えが間違っていると証明されようものなら大変なことになり、消滅の危機にさらされてしまいます。

そのため、エゴとひいとつになった人は、絶対に負けるわけにはいきません。
自分の主張の正当性を巡って、幾多の競争がおこり、数知れない人間関係が破綻してきました。
思考をアイデンティティ(自分らしさ)から切りはなしてしまえば、自分が正しいかどうかはどうでもよくなり、負けたからといって、アイデンティティがゆらいだりすることもありません。
「絶対に自分は正しくないといけない」という強い感情「いわば感情の暴力」を、抱くことはなくなります。
考えや気持ちを明確に伝えることはあっても、攻撃的になったり、身構えすることはなくなるでしょう。
思考ではなく、自分の内側に在る「大いなる存在」を、アイデンティティにしているからです。
したがって、自分がわずかでも「自己防衛」していると気づいたら、注意しましょう。
あなたはいったいなにを守ろうとしているのでしょうか?
それは「にせの自分」「頭の中のイメージ」、「空想上の存在」などではないでしょうか?
自分の行動を観察し、自己防衛していると気づいたら、あなたはその行動をやめることができるでしょう。
意識の光に照らせば、無意識のパターンは消え去ります。
これによって、人間関係を台無しにする論争や権力闘争のすべてに、ピリオドを打つことができます。
他者をおさえつけようとするパワーは、強さという仮面をかぶった、弱さでしかありません。
真のパワーは自分の内側に在り、それは誰にでも、手の届くところに在るのです。

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「超シンプルなさとり方」より

明日は、いま苦しみをこしらえているのを、やめる方法・・・について書きます。

―仁美ー

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