人間は、苦しみや痛みを自分でこしらえている
わたしたちは、苦しみのほとんどを、自分でつくっているものです。
厳密に言うと、「思考がこしらえている」ということになります。
わたしたちは、必要のない苦しみを、自ら背負っているのです。
これは、「すでにそうであるもの」にたいする拒絶や、「無意識のうちの抵抗が原因です。
思考は物事に対して「決めつけ」をするものですが、すると必然的に、ネガティブな感情がわき上がってくるのです。
苦しみの度合いは、自分がどれくらい、「いま、この瞬間」に抵抗しているかに比例しています。
これは同時にに、どれだけ自分が思考とひとつになっているかをしるバロメーターでもあります。
精神世界の教義の中には、「すべての痛みは、究極的には幻である」と、説くものがありますが、これはまさに真理なのです。
思考を「本当の自分」だと思い込んでいる状態は、「無意識に生きている状態」と言いかえることができます。
ここから脱却しないかぎり、痛みから解放されることはありません。
わたしがここで使った「痛み」とは、感情的な痛みのことですが、この感情てきな痛みが、肉体的な苦痛と病気の、主な原因でもあります。
感情的な痛みには、「怒り」「嫌悪」「自己憐憫」「罪悪感」「憂鬱」「嫉妬」などがあります。
ちょっとしたいらだちも、痛みのひとつです。
すべての「快楽」や「感情の高ぶり」も、そこに痛みの種を含んでいます。
なぜなら、これらは対極の存在と表裏一体であり、「マイナス極」が現れるのは、時間の問題だからです。
麻薬で「ハイ」な状態を経験したことのある人なら誰しも、「ハイ」はいずれ「ロー」に変わること、快楽が苦しみに変わることをよく知っているでしょう。
麻薬を経験したことがない人たちも、親密な人間関係が、快楽から痛みへと、いとも簡単に、しかもほんのわずかな期間で変わってしまうことを、経験を通じて、よく知っているものです。
より高い視点から眺めれば、ポジティブとネガティブは、コインの表と裏のようなものです。
ポジティブもネガティブも、エゴ的思考に不可欠な、「感情的な痛み」の一種にすぎません。
感情的な痛みには、ふたつのレベルがあります。
ひとつは、「いま、こしらえている痛み」。もいひとつは、「心と体に生きつづけている、過去の経験による痛み」です。
「いまのパワー」を自分のものにできないかぎり、感情的な痛みは増えつづけ、痛みを背負って人生を歩むことになります。
新たにこしらえる感情的な痛みは、心とからだに住みついている、過去の経験による痛みにくっついて、雪だるま式に大きくなります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「超シンプルなさとり方」より
あすは、「ペインボディ」とはなにか、ということについて書きます。
追伸 「私たちは苦しみのほとんどを自分でつくっている」といわれて、頭に来た方もいるかもしれま せん。しかし、その感情が在ることを認めながら、とりあえず先へ、これからも読み続けてくだ さい。かならず、すべての束縛から解放される日が来るでしょう。
わたしたちは、苦しみのほとんどを、自分でつくっているものです。
厳密に言うと、「思考がこしらえている」ということになります。
わたしたちは、必要のない苦しみを、自ら背負っているのです。
これは、「すでにそうであるもの」にたいする拒絶や、「無意識のうちの抵抗が原因です。
思考は物事に対して「決めつけ」をするものですが、すると必然的に、ネガティブな感情がわき上がってくるのです。
苦しみの度合いは、自分がどれくらい、「いま、この瞬間」に抵抗しているかに比例しています。
これは同時にに、どれだけ自分が思考とひとつになっているかをしるバロメーターでもあります。
精神世界の教義の中には、「すべての痛みは、究極的には幻である」と、説くものがありますが、これはまさに真理なのです。
思考を「本当の自分」だと思い込んでいる状態は、「無意識に生きている状態」と言いかえることができます。
ここから脱却しないかぎり、痛みから解放されることはありません。
わたしがここで使った「痛み」とは、感情的な痛みのことですが、この感情てきな痛みが、肉体的な苦痛と病気の、主な原因でもあります。
感情的な痛みには、「怒り」「嫌悪」「自己憐憫」「罪悪感」「憂鬱」「嫉妬」などがあります。
ちょっとしたいらだちも、痛みのひとつです。
すべての「快楽」や「感情の高ぶり」も、そこに痛みの種を含んでいます。
なぜなら、これらは対極の存在と表裏一体であり、「マイナス極」が現れるのは、時間の問題だからです。
麻薬で「ハイ」な状態を経験したことのある人なら誰しも、「ハイ」はいずれ「ロー」に変わること、快楽が苦しみに変わることをよく知っているでしょう。
麻薬を経験したことがない人たちも、親密な人間関係が、快楽から痛みへと、いとも簡単に、しかもほんのわずかな期間で変わってしまうことを、経験を通じて、よく知っているものです。
より高い視点から眺めれば、ポジティブとネガティブは、コインの表と裏のようなものです。
ポジティブもネガティブも、エゴ的思考に不可欠な、「感情的な痛み」の一種にすぎません。
感情的な痛みには、ふたつのレベルがあります。
ひとつは、「いま、こしらえている痛み」。もいひとつは、「心と体に生きつづけている、過去の経験による痛み」です。
「いまのパワー」を自分のものにできないかぎり、感情的な痛みは増えつづけ、痛みを背負って人生を歩むことになります。
新たにこしらえる感情的な痛みは、心とからだに住みついている、過去の経験による痛みにくっついて、雪だるま式に大きくなります。
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「超シンプルなさとり方」より
あすは、「ペインボディ」とはなにか、ということについて書きます。
追伸 「私たちは苦しみのほとんどを自分でつくっている」といわれて、頭に来た方もいるかもしれま せん。しかし、その感情が在ることを認めながら、とりあえず先へ、これからも読み続けてくだ さい。かならず、すべての束縛から解放される日が来るでしょう。
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