なによりも肝に銘ずべきことは、「痛みを『ほんとうの自分』だと思いこんでいるかぎり、痛みから
解放されない」ということです。
つまり、「わたし」というものを定義つづける際に、わずかでも、過去に被った心の傷を要素にしているあいだは、その痛みを癒せるチャンスを台無しにしているのです。
なぜでしょう。
理由は単純です。
「なにひとつ失わずに、自分をそのままの状態にしておきたい」という心理が働くため、痛みでさえも、手放したくなくなるのです。
この一連のプロセスは、すべて「無意識」によるものなので、克服する唯一の方法は、その事実に「気づく」ことです。
自分が痛みにしがみついているという事実に気づくというのは、雷にでも打たれるような、ショッキングな経験です。
この事実に、心の底から気づいた瞬間、あなたはついに、自分と痛みをつないでいる鎖を断ち切ることができます。
ペインボディは、一時的に内面に居座ってしまった、自由に流れず、滞留してしまった生命エネルギーです。
ペインボディは、過去のなんらかにの経験によりものであり、その人の中で生きつづけている過去なのです。
つまり、ペインボディをアイデンティティにするということは、過去をアイデンティティにすることを意味します。
「わたしは被害者です」というアイデンティティは、「『いま』よりも過去のほうがパワーを持っている」という信念に基づいています。
つまり、他者や、他者のしたことが、現在の自分の感情的痛みの原因であり、「ほんとうの自分」でいられないことに責任を負っていると、信じていることになります。
しかし、これは事実ではありません。
「唯一のパワーは、『いま、この瞬間』以外には存在しない」こと、これこそが事実なのです。
唯一のパワーは、「いまに在る」ことで生まれるパワーです。いったんこの事実が、のみこめたら、「現在の自分の心の在り方に責任があるのは、自分自身であり、他のたででもない」ということが、わかるはずです。そして、過去は「いまのパワー」に歯が立たないということも、わかるでしょう。
ペインボディは、「無意識に生きている」ことによる産物です。ペインボディを自覚すると、ペインボディは意識に姿を変えます。
パウロは、この普遍的な原則を、次のように美しく、表現しました。
「光に照らされると、すべては姿を現す、光に照らされたものは、すべて光となる」
闇と闘うことができないのと同じように、ペインボディと闘って、それを退治することはできません。
退治しようとすると、心に葛藤が生じ、結局、さらに痛みをこしらえてしまいます。
観察するだけで、ことは足ります。
観察することは、対象をあるがままに受けいれることだからです。
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「超シンプルなさとり方」より
明日は、「中毒的な人間関係」を「目覚めた人間関係」に変える方法から、
「愛と苦しみ」が表裏一体の人間関係・・・について書きます。
ー仁美ー
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