2011年6月17日金曜日

「愛と憎しみ」は表裏一体の人間関係

どんな中毒症状も、自分の痛みを直視することを無意識のうちに恐れているために、痛みを克服できずにいることが根本的な原因です。
中毒症状はすべて、痛みに始まり、痛みに終わります。
中毒になっている対象が、酒、食べ物、ドラッグでも、パートナーでも、人はそれを自分の痛みをおおいかくすために、利用しているのです。
誰かと親密になると、最初の頃の幸福期間が過ぎたあとには、たくさんの不孝と痛みが押し寄せてくるのは、このような理由があるからです。
人間関係そのものが、痛みや不孝を作り出しているわけではありません。
自分の中にもともとあった痛みや不孝を、引き出しているだけなのです。
これは、すべての中毒症状に当てはまります。
「効き目がなくなる」という限界に達すると、よりいっそうの痛みを感じるはめになります。

たくさんの人たちが、「いま、この瞬間」から逃れ、未来に目を向けようとする理由は、自分の痛みと向き合うことを、なによりも恐がっているからです。
残念ながら、「いまに在る」ことで生まれるパワーが、恐れの根源である過去の痛みを溶かしてしまえるということに、この人たちは気づいていないのです。
実態である「いま」のパワーは、過去という幻影を、いとも簡単に溶かしてしまえるのです。
もちろの、この人たちは、「大いなる存在」がすぐ手の届くところにあることにも、気づいてはいません。

中には、痛みを避けるために、人間との接触そのものを絶ってしまおうという人も、いることでしょう。しかし、これも解決にはなりません。
痛みはどっちにしろ、自分の中にあるのですから、それを取りのぞかないかぎり、痛みを経験するのです。
無人島や自室に閉じこもって三年を過ごすよりも、その間に三度、人間関係に失敗するほうが、さとりをひらく可能性は大きいのです。
ただし、孤独の中で、しっかりと「いまに在る」ことができるならば、その方法でも、さとりをひらくことができるでしょう。

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「超シンプルなさとり方」より

明日は、「中毒的な人間関係を」を「ほんとうの愛」に変える・・・ということについて書きます。

ー仁美ー

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